まずこの度の出来事におきまして、すべての職員ならびに崇高なアニメーターの皆様にお悔やみとお見舞いを申し上げます。

同じ映像制作という業界においてこのような事件が発生したことに衝撃を覚えてなりません。



さて、

京都アニメーションのみなさまと同じく、わたしたちクリエイターは常に「0から感情を生み出す」生業であり、誰かの感性に挑戦し続けています。

  

しかしながら時として、意図せずに誰かを不快にしてしまったり失望を与えてしまうこともあるのが現実です。

  

頑張ってみても上手く物事が伝わらず、悔しい思いをすることもあります。お叱りを受けることもあります。

それらは辛い現実であると同時に、”人間としてモノ創りをしていることの尊さ"を強く実感する瞬間でもあります。

 

今回の火災は、どうやら放火の疑いのようです。

どのような理由で犯行が行われたのか関与の許す部分ではございませんが、


まずもってお伝えしたいことは、


私たちクリエイターは多くの人々を笑顔にしたい、幸せにしたい、生きることや考えることのきっかけを生み出したいといつも本気で考えてクリエイティブに向き合っているということです。

  

  誰かをバカにしたい。

  誰かを傷つけたい。

  誰かを怒らせたい。

  誰かを失望させたい。

  誰かに恨みを買われたい。

  誰かに殺されたい。

  

そんなことを考えて人生の時間を費やしている人は決していないと思います。

ですから、創られたものに対して軽々しく不満不平怒りを投げる人は、それ自体が制作者の人格を否定しているのです。

  

どのような事由があれ、まずは「誰かのために」と生み出された目の前のクリエイティブに目を向けてみてください。

  

私たち若羽はなぜ「フリーランス」であり「チーム」である『Communipendent(コミュニペンデント)』という形態をとるのか。

  

それは、

利益追求主義の社会に対して歯車でありたいくないという意思と、

同時に、本当の意味で相互扶助していく社会になっていく必要を感じた自立した人間たちだからだと思います。

これからフリーランスや職が安定しない人、孤独な人が増えてくることが予想される中で、『Communipendent』は新しい希望の形であると自信を持っています。

  

もしかしたら放火をしてしまった人は、

何か声をあげられなかったのかもしれません。

助けてくれる仲間がいなかったのかもしれません。


何か言葉に出来ない悲鳴がこのような行為になったとするならば、やはりそれは連帯ができていない社会全体の責任です。


そして同時に、私たちクリエイターがまだまだ世の中に希望を生み出すことができていないということなのかもしれない、そんな自責も感じさせる次第です。

(決して、京都アニメーション様のクリエイティブに原因があったとは思っていません。そこは誤解なく。)

  

わたしたち若羽-wakabane-は、「憧れを創り 憧れを映し 憧れであり続ける」をミッションとして誓い、世の中に希望を生み出すべくクリエイティブを行なっていきます。

  

このような事件が決して起こらないよう、クリエイターならびにアニメーターの地位向上を目指し声を上げてまいります。


京都アニメーションのみなさま。

重ねてお悔やみ申し上げると同時に、本件に負けず、めげず、引き続き希望ある未来の創造社であることを心よりお祈り申し上げます。


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若羽-wakabane-

代表 鶴田和